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東京地方裁判所 昭和45年(特わ)152号 判決 1972年2月07日

被告人

本籍

東京都北区田端新町二丁目二九番地

住居

同都豊島区巣鴨二丁目一七番地

職業

会社役員

山田一郎

明治四四年一月一四日生

被告事件

所得税法違反

出席検察官

秋田清夫

主文

1  被告人を懲役四月および罰金四〇〇万円に処する。

2  右罰金を完納することができないときは二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

3  この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、日乃本米菓株式会社外二会社の代表取締役または取締役および東京都米菓工業協同組合の副理事長として給与所得を得、かつ、土地・建物の賃貸による不動産収入ならびに株式の配当収入を得ていたほか、個人事業として同都新宿区荒木町二一番二号において「ホテル日乃本」の名称で旅館業を、同都同区東大久保一丁目三三四番地において駐車場をそれぞれ経営していたものであるが、自己の所得税を免れようとくわだて、右個人事業の売上の一部を除外して架空名義の預金を設定する等の不正な方法により所得を秘匿したうえ、昭和四一年分の実際課税所得金額が二七、六五八、六〇〇円あったのにかかわらず、昭和四二年三月一四日同都北区王子三丁目二二番一五号所在の所轄王子税務署において、同税務署長に対し、課税所得金額が三、〇一七、三一五円で、これに対する所得税額は前記給与所得にかかる源泉徴収税額を控除すると一、六五八、〇三〇円の赤字となる旨虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって同年分の所得税額一一、七八二、五三〇円と右申告税額との差額一三、四四〇、五六〇円を免れたものである。(なお右所得の内容は別紙一の修正損益計算書のとおり、税額の計算は別紙二の税額計算書のとおりである。)

(証拠の標目)(かっこ内は立証事項であり、数字は別紙一の修正損益計算書の勘定科目の番号を表わす。)

一、大蔵事務官作成の次の書面

1  ホテル売上明細書(1)

2  駐車場収入明細書(9、12)

3  経費明細書(3)

4  支出給料明細書(4)

5  支払利息計算書(6)

6  什器機械設備明細書(2)

7  建物(および減価償却費)明細書(5、13、23)

8  有価証券明細書(29、32)

9  配当金(および源泉徴収税額)明細書(29、32)

一、次の者作成の「取引内容について」と題する書面

1  株式会社常盤相互銀行尾久支店長井坂忠外一名(6)

2  埼玉銀行尾久支店長代理牧山久美(6)

3  荒川信用金庫本店長堀江裕(全般、特に1)

一、次の者作成の「株式の異動および支払配当金額について」と題する書面

1  東洋信託銀行株式会社証券代行部長落合清隆(昭和四二年一〇月二四日付六通、同年一一月二九日付五通)(29、32)

2  中央信託銀行株式会社証券代行部池田山分室管理課(29、32)

3  株式会社横河電機製作所取締役社長友田三八二(二通)(29、32)

一、検察事務官作成の次の捜査報告書

1  昭和四五年三月四日付(3)

2  同年七月一五日付(22)

一、証人加藤彦一の当公判廷における供述(全般)

一、加藤彦一の検察官に対する次の供述調書

1  昭和四五年二月一六日付(1)

2  同月一七日付(1、3)

3  同月一八日付(1、3、4)

4  同月一九日付(1、3、9、12)

5  同年三月六日付(1、8)

一、杉山武の検察官に対する次の供述調書

1  昭和四五年二月一六日付(1、3、4)

2  同月一九日付(ただし二項まで記載のもの)(3、4)

一、押収してある次の証拠物(昭和四五年押一四八一号)

1  昭和四一年度元帳一綴(符号1)(1、2、3、4、5、6)

2  資産台帳一綴(同2)(2、5)

3  昭和四一年度集計及び収入支出帳一綴(同3)(9、11、12、13)

4  ノート(ホテル立替金)一冊(同4)(1)

5  給料計算帳一冊(同5)(4)

6  駐車場収入金帳一冊(同6)(9、11)

7  個人地代領収書等一袋(同7)(22)

8  手帳一冊(同8)(3)

9  山田一郎及び山田なをの昭和四一年分所得税確定申告書一綴(同9)(15、29)

山田一郎の昭和四一年分青色申告書類綴一綴(同10)(全般)

手帳一冊(同11)(9)

客室伝票二一綴(同12の1ないし12の21)(1、3)

リベート帳一冊(同13)(1、3)

一、被告人に対する大蔵事務官の各質問てん末書(全般)

一、被告人の検察官に対する各供述調書

(弁護人の主張に対する判断)

第一、弁護人の主張

一、ホテル日乃本の昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額について

検察官主張のホテル日乃本の昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額は過大である。すなわち、検察官はホテル日乃本の昭和四一年分の実際売上額を算出するに当り、その実額が把握されていない昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額を、その実額が把握されている同年五月二〇日から同年一二月三一日までの売上額の平均公表計上割合(三九・六%)によって推計して算出しているが、右推計方法は、以下に述べるような事情を考慮しないでなされたもので合理性がなく妥当でない。すなわち、ホテル日乃本は昭和四〇年七月に開業したものであるが、周辺に同種営業がなかったことや、広告宣伝の手当が遅れたことなどから開業当初は極めて成績が悪く、昭和四一年四月頃にいたってようやく一日平均一〇組の来客をみるようになった程である。そこで一日平均一〇組の来客があったものとすると、一ケ月の平均売上額はほゞ二〇〇万円となるから、実額の把握されていない昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額は各月平均二〇〇万円として算出するのが合理的である。

二、ホテル日乃本の交際費について

検察官主張のホテル日乃本の交際費は過少である。すなわち、昭和四一年はホテル開業後間もない頃で各方面に対する折衝等交際活動が最も活溌な時期であった筈なのに、検察官の主張によると、ホテル日乃本の昭和四一年度の交際費は昭和四二年度のそれと比較してほゞ一〇分の一にすぎなかったことになるのであって極めて不自然で到底納得し難い。ところで、被告人はホテル開業当初から支配人の杉山武に対し、警察、消防署等の役所関係者、更には工事関係者、広告関係者等に対する接待、或はクラブ、バー等のホステス等に対する働きかけ等の費用として、その使用方法は右杉山に一任したうえ、月平均三、四〇万円、昭和四一年度年間として四〇〇万円位を支出していたので、ホテル日乃本の昭和四一年度の交際費は検察官主張の額に右四〇〇万円を加算した額とみるのが相当である。

第二当裁判所の判断

一、ホテル日乃本の昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額について

ホテル日乃本の昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額について、証人杉山武、同山田なを、同加藤彦一および被告人は、当公判廷において、「ホテル日乃本は開業(昭和四〇年七月)当時全然宣伝をしなかったので客の入りが極めて悪く、よくなってきたのは昭和四一年四月ないし六月頃である。」旨供述し、証人杉山は更に具体的に、「開業後昭和四〇年一二月頃までは宣伝らしい宣伝をせず、同月頃からようやく宣伝に力を入れるようになった。そのため特に同月頃までは客の入りが悪く昭和四一年二月頃になってようやく一日七組位、同年四月か五月頃になってやっと一月一〇組位(売上額にして月二〇〇万円位)の客が入るようになった。」旨供述している。

しかしながら、前掲の関係各証拠によると、ホテル日乃本は昭和四〇年七月下旬に開業したものであるが、開業前である同年五月頃すでに同ホテルの屋上にネオンを設置し、更にその後同年一一月頃および昭和四一年四月頃それぞれ他の場所にもネオンを設置していること、開業当初から宣伝的意図をもってしばしば同ホテルに客を招待していること、開業後間もない昭和四〇年八月頃からタクシーの運転手に一回平均五〇〇円位の謝礼金(リベート)を支払って同ホテルに客を案内させていること、そしてその案内回数は、昭和四〇年九月および一〇月がそれぞれ三〇回位、同年一一月が三九回位、同年一二月および昭和四一年一月がそれぞれ三〇回位、同年二月が三九回位、同年三月が三七回位、同年四月が三八回位であって、いずれもその後の同年五月ないし一二月までの案内回数(一一回ないし二九回)よりも多いこと等の事実が認められるのであって、右各事実によるとホテル日乃本では開業当初から宣伝活動をしていたことが明らかであるから前記各証人および被告人のこの点に関する供述は信用することができず、また右宣伝活動の状況特に右タクシーの乗客案内回数、更には同ホテルの開業の時期(昭和四一年一月は開業後まる五ケ月を経ている。)を総合して考えると、昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの同ホテルの客の入りが、同年五月二〇日以降のそれに比して極端に悪かったものとは到底考えることができないからこの点に関する前記各証人および被告人の供述も信用することができない。特に証人杉山の「昭和四一年四月か五月頃になってやっと一日一〇組位(売上額にして月二〇〇万円位)の客が入るようになった。」旨の前記供述は、現に同年五月二〇日から同月三一日までの五月中の後半一二日間ですでに二〇〇万円を越える売上があったこと(前同押号の4、ホテル立替金と題するノート)からみても到底措信することはできない。

なお、証人杉山武、同山田なをの当公判廷における供述によると、昭和四〇年五月頃同ホテルの屋上に設置したネオンは単に「日乃本」という文字だけのものであって「ホテル」という文字が抜けていたというのであるが、仮にそうであったとしても、その宣伝的意図は十分に窺える。

そこで次に、検察官主張の売上推計方法の当否を検討する。

前掲の関係各証拠によると、ホテル日乃本の公表売上額は昭和四一年一月から同年七月まで順次漸増し、その後同年一一月まではほゞ横ばい状態となっていること、同ホテルの実際売上額が把握されている最初の期間である同年五月二〇日から同月三一日までの実際売上額および同年六月分の実際売上額に対する各公表計上売上額の割合(売上の公表計上割合)はそれぞれ二九・九%および三二・%であって、その後の同年七月から同年一二月までの各公表計上割合(三八・七%ないし四五・一%)に比して極めて低率であることが認められ、また証人加藤彦一の当公判廷における供述および同人の検察官に対する供述調書(昭和四五年二月一七日付、同月一八日付)によると、右加藤は同ホテルの売上の一部を除外するに当り給料とほゞ同じ割合で除外していたというのであるが、右加藤が把握していた昭和四一年分の実際の給料額(前同押号の8、手帳記載の給料合計額)に対する公表計上給料額の割合(給料の公表計上割合)は四四%弱であることが認められる。以上の事実に、前記認定の同ホテルの開業時期、宣伝活動の状況、更には「昭和四〇年一二月頃から客の入りも相当多くなり本格的営業として軌道に乗ってきた。」旨の被告人の大蔵事務官および検察官に対する供述(昭和四二年一一月二四日付大蔵事務官の質問てん末書および昭和四五年三月五日付検察官に対する供述調書)等を合せ考えると、実額の把握されていない昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの同ホテルの売上額を、実額の把握されている同年五月二〇日以降同年一二月までの平均公表計上割合(三九・六%)によって推計して算出すれば、ほゞ実額に近い金額が得られるものと考えられるから、ホテル日乃本の昭和四一年一月一日から同年五月一九日までの売上額に関する検察官の推計方法は合理的なものというべきである。

なお、証人加藤彦一は当公判廷において、「実際売上額が少い場合には売上を除外しにくいからその除外割合は低くなり従って公表計上割合は高くなる筈である。」と述べているけれども、右供述は、前記認定のとおり昭和四一年五月二〇日から同月三一日までの分および同年六月分の各公表計上割合が、実際売上額がより多い同年七月以降の各公表計上割合より低率であることに徴しても措信できないものというべきである。

よって売上額についての弁護人の主張は採用することができない。

二、ホテル日乃本の交際費について

証人杉山武は当公判廷において、「昭和四〇年八月頃から、被告人またはその妻である山田なをから、役所関係者や工事関係者を接待するため或はキャバレー、クラプのホステス等から客を斡旋紹介してもらうため機密費的な資金として月平均三〇万円ないし四〇万円、年間四〇〇万円位をもらっていた。」旨弁護人の主張にそう供述をし、証人山田なをおよび被告人も当公判廷において同旨の供述をしている。

ところで前掲の関係各証拠によると、ホテル日乃本の経費は、加藤彦一が、ホテルの直接支払分についてはホテルからの支払伝票、請求書、領収証等により、また被告人或は山田なをの支払分については同人らからの請求書、領収証もしくは口頭の報告によりすべて実額を把握していて、これを右加藤の心覚えのための手帳(前同押号の8)に記載していたこと、しかも右加藤は自ら直接タッチはしていなかった給料、支払利息、減価償却費についても被告人や支配人の杉山から聞き或は自ら計算してこれを右手帳に記載していたこと、そして右加藤は右手帳および別に実際売上金額を記載していたノート(前同押号の4)に基き、月一回同ホテルの収支を被告人に報告し、被告人は右加藤の報告によって同ホテルの月ごとの実際の収支を把握していたことが認められる。

なお、証人加藤彦一、同山田なをは当公判廷において、「山田なをがホテルのために支出したもののうち領収証のないものは加藤に報告しなかった。」旨述べているけれども、右加藤および被告人はいずれも検察官に対し、「領収証のない分については口頭で加藤に報告した。」旨供述していること(加藤の検察官に対する昭和四五年二月一八日付供述調書および被告人の検察官に対する同年三月四日付供述調書)、更には右加藤記載の手帳はいわゆる公表帳簿ではなく、前記認定のとおりもともと加藤が同ホテルの収支を把握してこれを被告人に報告するための心覚えの手帳であって、通常このような趣旨の手帳には領収証の有無にかかわりなくすべての収支が記載されるものであること等の事実に徹すると、前記加藤および山田の当公判廷における供述はいずれも信用できないものというべきである。

右認定の事実を総合して考えると、ホテル日乃本の経費は交際費を含めて一応すべて右加藤記載の手帳に記載されていたものと考えられるが、前記証人杉山の供述する機密費的資金については右手帳に記載されていない。

そこで機密費的資金についての前記証人杉山の当公判廷における供述自体特に被告人らからもらっていたという金額についての供述が極めて曖昧で矛盾していること、また同証人は検察官から「検事に調べられた時に機密裏の話はしたか。」と問われたのに対し、「質問もされなかったので話してはいないと思う。」旨述べているが、同人の検察官に対する昭和四五年二月一六日付供述調書によると、検察官に対し、「被告人から杉山の判断だけで領収書等もとらないで使ってもよい交際費等は全然もらっていない。いわゆる渡し切りの交際費的な金はもらっていない。」旨断言し、更に「開店当初から本俸とは別に四万円づつの手当を毎月もらっている。この金は支配人としての立場上仕事の関係でのつき合いも考えてその際の費用に充てても差支えないということでもらっている。」と述べていること(右四万円の手当は一応機密的性質を有するものと考えられるので、更にこの外に多額の機密費をもらっていたとは通常考えられない。なお右四万円は杉山に対する給与として公表され或は簿外給与として認容されている。)等の事実に照すと、前記証人杉山の当公判廷における供述は信用することができない。

以上述べたところによると、ホテル日乃本の経費はすべて前記加藤記載の手帳に記載されたものと認めざるを得ないから、結局弁護人の交際費についての主張も採用することができない。

(法令の適用)

所得税法二三八条(懲役刑および罰金刑併科)。刑法一八条(主文2)。同法二五条一項(主文3)。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 松本昭徳)

別紙一 修正損益計算書

山田一郎

自 昭和41年11月1日

至 昭和41年12月31日

<省略>

<省略>

別紙二 税額計算書

<省略>

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